地獄百景

ある男に狙われています

 ここ一年ほど、週に三日から四日ほど自炊をしている。しかし別に料理を趣味としているわけではなく、必要にかられてなのでまったくもって楽しくない。元来、私は手先が不器用にできているのでいまだに包丁も上手く扱えないし、炒め物をしていて材料をこぼすことも多々あるし、油が跳ねることに慄いてフライパンを握るときは常に腰が引けている状態にあり、そんな人間が料理をしていて楽しいわけがない。なんなら面倒だ。さらに生来の暑がりが原因でイボ痔に模したやる気スイッチが勝手にオフになってしまうので、この時期はことさら料理が億劫になってしまう。

 そんな連日のように猛暑が続く日は湯にぶち込んで適当に茹でていれば完成するそうめんやひやむぎに頼ったり、何日か保つおかずを大量に作ったりするのが常なのだが、今回はオーソドックスにカレーを作った。夏なので。

 ご存知の読者も多いとは思うが、端的にいうと私はデブである。自称デブのそれと違い正真正銘のデブなのである。生粋のデブだ。しかし見た目に反してしいちばん好きな肉は鶏肉で、しかも順位づけをすると、ささみ、胸肉、もも肉になる。余談だが皮はできることなら食いたくない一派に属している。そんな自分が作るカレーといったら自然とチキンカレーになり、しかも具材はささみ(あるいは胸肉)と玉ねぎのみという実に男っぷりの高いアスリート飯のようなものに仕上がる。

 しかしこうした淡白にすぎるカレーは家庭内ではもっぱら不評で、今回もチキンカレーにしようとしたところ猛烈な反発を喰らった。文句を垂れるぐらいなら食うな、屁でも垂れてろクソが。と言いたいところではあるが、今回は不本意ながら渋々、豚肉、玉ねぎ、じゃがいも(にんじんは宗教上の理由で抜いている)を使ったごくごく一般的な家庭のカレーを作った。だが、これが存外に美味い。「カ、カレーってこんなにもコクがあるものだったのか……!」と思わず柏手を打つぐらい美味かった。特別な食材は使っていないし、なんなら味もごくごく平凡なものではあるのだが、舌が旧友と再会したかのような感動を覚えたのだ。いやさすがにそれはフカシをこいたが。

 案外、こだわりを捨てることも大事なのかもしれないと気づかされた一日だった。

 生来の飽き性が原因でブログの更新もほぼ三日坊主の状態にあったのだが、友人のブログを読んだ折に久方ぶりに自身のブログを覗いてみたところ、三日どころか一日書いてそれきりになっていた。ほんの数行しか書かれていないその記事を読み返してみると、果たしてそんな夢を見たかしらと疑問に思うほど内容を記憶していない。まあ二年も前のことだから覚えているわけがない。もともと蟻の脳味噌ほどの記憶力しか持ち合わせていないのだから仕方がないといえば仕方がないのだが。

 そんなわけで友人に触発されて(ついでに文章の書き方がわからなくなってきたので練習ついでに)ブログを再開しようと思う。何日続くかはわからない。特別書き残しておく必要のある日常を送っているわけではないので、明日以降、更新が滞る場合もあるが、果たして。

 記憶力の悪さに定評のある私ではあるが、ここ最近は見た夢をしっかりと記憶できるようになったので、つげ義春を気取って夢日記でも書いてみるか、と思い実践してみようとしたところ、翌日からまったく覚えていられなくなった。わざわざ過去の記事を削除してまで新たに取り組もうと思ったのが間違いだったのかもしれない。なにごとも気負いすぎると裏目に出るものである。

 覚えていた夢のほとんどは洗髪中に排水口へ流れてしまった。抜け落ちた髪の毛と一緒に。だが、幸いにも唯一覚えているものがあるので、それを書くことにする。

 私は新進気鋭の某アイドルグループのMと交際をしていた。どちらから告白したのかはわからない。そこそこ長い付き合いだったようだ。ある日、彼女とともに遊園地へ向かった。園内には客はおらず、寂れた雰囲気だった。メリーゴーランドがむなしく回っていた。私は彼女とともに観覧車に乗り込んだ。ゴンドラの中には大江健三郎と氏の担当編集者がいた。氏はなかなか気さくな方で、我々を快く迎え入れてくれた。そしていろいろなことを教えてくれた。なにを教えてくれたのかは覚えていない。しかし文学の話題は出なかった。円い眼鏡をしていたので大江健三郎だと思い込んでいたが、ただのじじいだった可能性もある。